はかナビ~葬儀とお墓と仏壇の読み物~

一般的なお墓から最近増えている永代供養墓や納骨堂までお墓について詳しく解説します。また、葬儀・葬式や仏壇、終活の基礎知識についても詳しく解説します。

移転しました。

お葬式と火葬の始まり:釈迦のお葬式から始まった仏式のお葬式の歴史

f:id:barkaz6212:20170312130724j:plain

仏式のお葬式の始まり

仏式のお葬式は、古代インドで仏教を開いた釈迦のお葬式から始まりました。
古代インドでは、死者は火葬して遺骨を川に流していましたが、仏教の開祖である釈迦の遺骨は、ストゥーパ(仏塔)と呼ばれるお墓に納められて祀られました。
それがやがて仏塔に発展しました。
つまり、釈迦の遺骨を納めたストゥーパと呼ばれる塚がもっとも古いお墓とも言えます。
これは当時のインドでは、仏教独自のものでした。

釈迦が80歳で涅槃に入る*1と、お葬式が行われました。
その様子は仏教の教えが書かれている経典にも記されています。
このインドでのお葬式の風習が、日本に伝わり、奈良時代には火葬が行われるようになりました。

釈迦ってどんな人?

仏教の開祖である釈迦は2500年ほど前にインドで生まれた実在の人物です。
35歳のときに、悟りを開いて、そこから80歳で亡くなるまで伝道の旅をして、仏教を広めました。
その死後、仏教はインドから中国を経て、6世紀に日本へと伝わりました。

仏教の始まり

仏教はそもそも紀元前5世紀頃に、釈迦によって始まりました。

ストゥーパとは?

釈迦の遺骨は仏舎利と呼ばれます。
その仏舎利を納めるためにストゥーパと呼ばれる塚が建てられました。
ストゥーパは仏教の中でもっとも古いお墓と言えます。
当初は簡素なものでしたが、やがて立派な仏塔として発展しました。

今でもストゥーパは、多くの人々に崇められて、仏教の聖地の象徴として信仰されています。

仏教以外の古代インドの葬送

古代インドでは、魂は転生するもので、死後は点の神々の世界に生まれ変わりたいと願い、お墓は転生を妨げるものとして建てませんでした。
その頃のインドには仏教以外にもさまざまな宗教がありましたが、基本的にはお墓は作らずに、人が亡くなると遺体を火葬して、灰をガンジス川などに流しました。

日本で仏式のお葬式が始まったのはいつから?

飛鳥時代頃から、古墳で行われる殯*2にお坊さんも加わるようになり、追悼文の代わりにお経をあげるようになりました。
聖徳太子が亡くなったときには、百済からお坊さんが来日したと日本書紀に記されています。

日本で仏式のお葬式が始まったのは、仏教が日本全国に広まった奈良時代です。
本格的に仏教が日本全国に広まり、日本のお葬式や思想に影響を与えました。
仏教が日本に伝わるとともに、六道輪廻、地獄・極楽、四十九日など、現代にも通じる思想や風習も日本に取り入れられるようになりました。

六道輪廻とは、死後の魂が違う世界に生まれ変わるという考え方です。
それまでは、死後は黄泉の国に行くと考えられていましたが、生前の行いによって、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の6つのいずれかの世界に生まれ変わるという教えです。
そして、同じく死後の世界として、極楽もこの頃に伝わりました。

また、四十九日の風習も始まりました。
それまでは殯を何日行うか決まっていなかったのが、初七日から始まり、亡くなった人が徐々に極楽へ行けるように7日ごとに供養をするようになりました。

六道輪廻とは?

六道輪廻とは、生前の行いによって、死後、6つの世界のどこかに生まれ変わるというものです。

地獄道

悪行を積んだ者が入れられる地下の牢獄。
六道で最も苦しみの多い世界です。

餓鬼道

生前に嫉妬深かったり、者を惜しんだ人が行くところです。
食べ物が得られない世界です。

畜生道

生前の悪行の報いで動物に生まれ変わり、人間に傷つけられ、互いに殺生し合う世界です。

修羅道

血気盛んで闘争を好む鬼神の一種である阿修羅が住むと言われている世界です。

人間道

六道のうち、私たち人間が住んでいるこの世のことです。
人界とも言います。

天道

六道のうち、最上位の世界です。
天人であっても、死後再び六道のいずれかに転生します。

地獄とは?

地獄とは、罪を犯した者が死後に行く閻魔様のいる世界です。
罪に応じた地獄に堕ち、罰を受けます。

古代インド社会には、死後の魂が輪廻転生するという世界観があり、仏教でも早くから、悪いことをした者は地獄に堕ちるという考えが取り入れられていました。
地獄は死んだ者を生前の行いによって裁く閻魔が支配しています。
日本では、平安中期に源信という僧が『往生要集』で地獄の様子を詳しく記したことで、地獄を表現した地獄絵図が盛んに作られるようになりました。
お寺では、今でも恐ろしい顔をした閻魔像が見られます。

極楽とは?

極楽とは、念仏を唱えることで、往生すると行けるとされる阿弥陀如来の国です。

釈迦をはじめとした、仏さまたちはそれぞれ自分たちの国を持っています。
仏の国のことを浄土(仏国土)と言い、中でも阿弥陀如来の国を極楽浄土と言います。

仏教の宗派のうち、法然が開いた浄土宗では、南無阿弥陀仏と念仏を唱えれば、臨終をむかえたときに、阿弥陀如来がやって来て、極楽へ導いてくれると言われています。
そして、阿弥陀如来のもとで、悟りを開く修行をすることができます。

日本で最初に火葬されたのは誰?

今の日本では火葬が一般的ですが、古くから日本では土葬する形式が一般的で、少し前までは地方では土葬も多く見られました。
飛鳥時代に仏教が日本へ伝わるとともに、火葬の風習も行われるようになり、飛鳥時代の道昭というお坊さんが歴史上、日本で一番最初に火葬されたとされます。
文武天皇4(700)年3月10日のことです。

平安時代に編纂された史書である『続日本紀』によると、火葬して遺骨を拾おうとしたら、にわかに風が吹き、灰も骨も消えてしまったという不思議な話が残されています。
なぜ、このような霊験譚が載っているとかというと、今まで土葬だった天皇の火葬がこれから始まるという一種の文化的な大変化の前段階として、記されたと考えられています。
実際に、その2年後の大宝2(702)年には、持統太上天皇が、天皇として初めて火葬されています。

平安時代になると、貴族たちが死を恐れて、平安京の中には墓を作らずに、火葬をしたあと、遺灰を東山にある墓地へ送っていました。
他にも、風葬や水葬など、さまざまな形式が行われていました。

火葬とは?

火葬された後、遺灰を納骨する風習が定着しました。

荼毘に付すとはどういう意味?

人がなくなったあとに、荼毘(だび)に付すという表現をすることがあります。
これは「火葬する」という意味です。
荼毘という言葉はサンスクリット語を音写したもので、もともと「火葬」という意味があり、そこから日本語で荼毘に付すという表現をするようになりました。

土葬とは?

土葬は、古くから一般的に行われてきた埋葬方法です。

縄文時代より土葬が行われており、その頃の土葬は遺体の脚を折り曲げているのが特徴です。
縄文人が死者の蘇りを恐れていたと解釈されています。
以来、近年まで行われてきましたが、衛生的な問題で火葬が一般的になりました。

水葬とは?

水葬とは、観音の浄土へ船で向かうとされる葬送の形式です。

水葬も行われており、浄土真宗を開いた親鸞は、「自分が死んだら鴨川に流してほしい」と遺言したと言われます。
特殊な例ですが、観音菩薩の浄土と言われる補陀落山を目指す補陀落渡海という水葬も行われていました。

風葬とは?

風葬とは、森の中に遺体の入った棺を置く葬送の形式です。

風葬という形式も伝統的に行われていました。
遺体をそのまま放っておくのではなく、森の中の藪に囲いや小屋を作ります。
その中に遺体を置いて、白骨化してから、別の場所に立派なお墓を作り、骨を入れていました。

洗骨とは?

洗骨とは、琉球地方で見られた風習です。
沖縄諸島や奄美諸島では、埋葬または風葬したあと、数年したら遺骨を取り出して、水またはお酒で洗い清める習俗があります。
現在は、1960年代に沖縄で火葬が普及したため、ごく一部の離島でしか行われていません。
日本だけでなく、洗骨の風習は環太平洋地域に広く分布されていました。

今のお葬式の形になったのはいつから?

現在のお葬式の形式は江戸時代に定着しました。
江戸幕府のもと、寺請証文と宗旨人別帳によってお寺と檀家を結びつける檀家制度が始まりました。
それに伴って、現在のお葬式に通じる形式が定着しました。

檀家制度のもと、檀徒がキリシタン*3ではないことを証明するために、お寺は寺請証文と宗旨人別帳を作り、それが戸籍簿にもなりました。

寺請制度

現在、行われているお葬式の形が整ったのは江戸時代です。
一番大きな影響を与えたのが、江戸幕府が定めた檀家制度です。
檀家制度は、家ごとにお寺の檀家*4になる制度です。

お寺は、段とがキリシタンでないことを証明する寺請証文を作って、それをもとに役所が宗旨人別帳という戸籍簿を作りました。
庶民は、寺請証文がなければ、結婚はできませんでした。
また、後には、お葬式や法事は自分のお寺で必ず頼むという掟も定められました。

また、江戸時代は大きな戦乱のない安定した時代で、人口も享保6(1721)年、三千万人に達しました。
そして、家柄や身分も固定的になりました。
その根拠は、「ご先祖様が関ヶ原の合戦で活躍したから」というふうにご先祖に求められ、先祖供養が重要になりました。

その結果、立派なお葬式を行うことが、家の格を表すようになりました。

派手で立派な葬儀

江戸時代、人々の意識が過去に向いて、今の自分たちの家柄や格の根拠をご先祖の事績に求めるようになると、家の格を示すために、派手で立派なお葬式が行われるようになりました。
そして、五十回忌、百回忌など年忌も増えていきました。
お葬式は村の一大イベントでもあったので、何日にもわたって行われました。
また、香典も今のようにお金ではなく、米やお酒、魚など現物で渡されていました。

*1:亡くなる

*2:追悼の儀式

*3:キリスト教徒

*4:特定のお寺の信徒